45年間マーケティングを続けてきて思うこと【前編】
今回で、連載してきた「楽しく誰にも分かるマーケティング」も、100回を迎えます。
100回という節目なので、今回は少し趣向を変えて、約45年間マーケティングの仕事をしてきた私自身を振り返ってみたいと思います。
私はこれまで、実にたくさんの「新しいマーケティング」を追いかけてきました。そして今、45年間マーケティングを続けてきたからこそ思うことがあります。
それは、マーケティングの知識や理論には「賞味期限」があるのではないかということです。一方で、賞味期限のないものもある。そのことに気づいたのは、50代になってからでした。
「マーケティング」という言葉も知らなかった新人時代
私は1981年、広告代理店に入社しました。それまで「マーケティング」という言葉も、ほとんど知らなかったと思います。何しろ、テレビやCMに関連する仕事がしたい、というのが入社の動機でしたから。
私が生まれた1960年代から戦後の高度経済成長が本格化し、大量生産・大量販売とテレビの普及によって「マスマーケティング」が浸透していった時代です。
1970年代には二度のオイルショックを経験し、1980年代になると日本経済は安定成長期から成熟期へ。ちょうどその頃から、広告代理店も次第にマーケティング志向になっていきました。
とはいえ、現在のようにインターネットで瞬時に大量の情報が手に入る時代ではありません。市場調査やマーケティングの概念はありましたが、今ほど体系化された情報やデータが豊富にあったわけではありませんでした。
そこで、日常生活そのものが重要な情報源でした。今思えば、喫茶店での雑談は、リラックスした状態で自由な意見を出し合う「企画会議」だったのかもしれません。
「週末、新しくオープンした○○に行ったんだ」
「どんな中身で、どんな人が来ているの?」
そんな話から、
「このようにアレンジして新聞社やテレビ局を絡ませたら、○○食品に提案できそうだ!」
「じゃあ、明日宣伝部長と会食するから、打診してみるよ」
といった具合に、企画が生まれていきました。
今のように緻密な根拠や数値目標、KPIを積み上げるというより、「面白そうだから、やってみよう!」という機運が高かった時代です。
そして当時は、今以上に「新しいもの」が価値を持っていたように思います。新しいモノ、新しいメディア、新しいライフスタイル、そして新しい若者文化。広告代理店で働いている以上、時代の先端を追いかけることが仕事でもありました。
特にバブル期は、さまざまなものが化学反応を起こして、「モノからコト(体験)」と言われ、「モノを買って、どんな体験をするか?」そんな新たな文化や消費スタイルが登場するワクワクした時代でした。
「新しいもの」を追い続けた40代まで
バブル景気は1991年2月に終焉したと言われ、そこから日本経済は長いトンネルに入ります。現場で働いていた私も、「もっと売上につながり、結果が数値化できる企画を立案したい!」と思うようになり、本格的にマーケティングマネジメントやフレームワークを学ぶようになりました。
そして、1993年に知ったのが「ダイレクトマーケティング」でした。「プロモーションの投資対効果が分かる」「双方向で顧客の声を聴くことができる」当時の私には、とても画期的に感じました。
「今後のトレンドは、間違いなくこれだ!」そう思ったものです。
私は社会人デビュー以来、何度か広告会社で転職を経験し、電通ワンダーマン(現・電通ダイレクト)を経て、1998年8月にフリーランスのマーケティングプランナー、コンサルタントになりました。
当時は、ビジネスカレッジや異業種交流会でも「マーケティング」をテーマにした講座が盛んに開催されるようになり、ビジネスパーソンにとってもマーケティングは重要な知識になっていきました。
そしてマーケティングの世界には、次々と新しい概念や言葉が登場します。
「○○マーケティング」
「○○理論」
「○○メソッド」
「○○モデル」……。
特に2000年頃から「インターネットと携帯電話」が本格的に普及すると、広告代理店の競合にはIT系企業やコンサルティング会社なども加わり、マーケティングのデジタル化とともに変化のスピードは一段と速くなっていきました。
私自身も、これまで数多くの理論やフレームワークに触れてきました。もちろん、それぞれに意味がありますし、マーケティングを実行する上で有効なものもたくさんあります。
マーケターとして新しいものを学び続けることは必要なことだと思っています。ただ、その一方で、次第にこんなことを考えるようになりました。
「新しい理論を追い続けるだけで、本当にいいのだろうか?」
50歳を目前に感じた「自分の賞味期限」
2008年にはリーマンショック、2011年には東日本大震災があり、社会もマーケティング業界も大きく揺れ動きました。もちろん仕事への影響もありました。
しかし、それ以上に私自身が困惑したのは、50歳を目前にして感じた、若い世代とのジェネレーションギャップでした。そして、急速なデジタルシフトです。
それまでなら、街を歩けば新しい流行を感じることができました。若者の消費や文化を見れば、「次はこんなマーケットが来るのではないか」と想像することもできました。
ところが、だんだん分からなくなってきたのです。
「自分はもう、時代についていけないのではないか?」
「自分自身の仕事の賞味期限も近いのではないか?」
そんな危機感を持つようになりました。
そして50代になると、それまでの現場での企画仕事に加えて、マーケティングの公開セミナーや企業研修といった「教える仕事」が増えていきました。
しかし、そこでも同じことを考えていました。「今、教えている知識や方法も、いずれ古くなるのではないか?」と。
マーケティングは変化が速い世界です。今日の成功法則が、数年後にも通用するとは限りません。ましてデジタル化によって、その変化のスピードはますます速くなっています。
つまり、知識を増やし続けるだけでは、自分自身の「賞味期限」を延ばすことにはならないのではないか。一方で、頭の中に膨大に蓄積された知識も、たとえて言えば、「データで溢れ、動きが悪くなったパソコン」のようなものかもしれない。そんなことまで考えるようになりました。
思いがけないところから、マーケティングのヒントがやってきた!
そんな折、思いがけないところから、仕事のヒントがやってきました。それは、プライベートで通っていた「ディスコ」や「Soul Bar」でした。
ちょうど私が20歳くらいの頃、ディスコは若者カルチャーの象徴のような存在でした。その後、40歳頃からディスコが復活し、私も再び通うようになりました。そうすると、次第に顔見知りも増え、さまざまな人と話すようになります。
実は私は、体質的にお酒が一滴も飲めません。でも、相手はお酒を飲んでいます。すると、仕事上の肩書きや、主婦・母親といった社会的な立場とは違う、一人の人間としての本音が出てくることがあります。
私は、そんな話をたくさん聞きました。そして2010年代に入り、50歳を過ぎた頃、ある変化に気づきました。
「明らかに新しい人が増えている」
昔からの仲間も同じことを感じていました。
50代になり、子育てが一段落した、特に女性たちがディスコの存在を知り、来店するようになったのです。私がディスコの話をすると、「え!ディスコって今もあるの?」「行きたい!」となり、私が案内することもよくありました。
ディスコで、私は「無意識のマーケティングリサーチ」をしていた
今振り返ると、ここが私のマーケティング人生において、とても大きな意味を持っていたと思います。さまざまな立場の人たちが集まるコミュニティで、私は何年にもわたって、本音トークを繰り返していました。
今のマーケティング用語で言えば、デプスインタビューと経過観察に近いことを、無意識にやっていたのです。一人ひとりの人生、価値観、仕事、家族、趣味、消費行動、これからやりたいこと。お酒を飲んでいる相手から、調査票には書かれないような話を聞く。
そして、
「この人は、なぜこんなことを考えるのだろう?」
「この人の行動の背景には、何があるのだろう?」
と考える。今でいうN1分析に近いことも、無意識に行っていたのだと思います。
もちろん、当時はそんな言葉を知りません。マーケティングリサーチをしているつもりもありません。ただ、人と話すのが面白かった。そして、人の話を聞いているうちに、どんどん人間そのものに興味が湧いてきたのです。
「この人は、こんな人生を送ってきたのか」
「こんなことを考えているのか」
「年齢を重ねても、こんなに好奇心があるのか」
そんな発見がたくさんありました。
そこで気づいたのです。「年齢」だけでは、人間は語れない。同じ60歳でも、人生に対する考え方も、消費の仕方も、若さの感覚もまったく違う。
それまで私は、マーケターとして「市場」を見てきたつもりでした。ところがディスコという、仕事とは関係のないリアルなコミュニティで、いろいろな人と話しているうちに、いつの間にか「市場」ではなく「人間」を見るようになっていたのです。
これは、後から振り返ると、私のマーケティングにとって大きな転換点でした。
58歳、「自分たちもシニアだった」と気づく
そして58歳くらいの頃、決定的なことに気づきました。それまで、「シニアマーケティングなんて、自分には関係ない」と思っていたのです。
ところが、よく考えてみれば、自分たち自身が、もう世の中から「シニア」と呼ばれる年齢になっていた。そこで、改めて自分たちの世代を見つめ直しました。
「シニアとは、一体誰なのか?」
「これまでのシニア像は、本当にこれからのシニアを表しているのか?」
そう考えると、明らかに違うのです。私たちの親世代が60歳だった頃と、私たちが60歳になった時代では、社会環境そのものが違います。
私たちが生まれ育ったのは、戦後の高度経済成長期。若い頃にはバブルを経験し、結果的に戦後の日本が最も元気だった時代を生きてきました。
一方、今では、スマートフォンを使い、仕事ではパソコンを使い、ECで買い物をし、SNSで情報を発信したり、人とつながったりする。
もちろん、全員が同じではありません。しかし、少なくとも私たちの親世代が60歳だった頃とは、生活環境も社会との接点も全く異なります。それなのに、年齢だけを基準に、同じ「シニア」として括ってしまっていいのだろうか。そんな疑問が生まれました。
「ABS世代」という仮説を立てた
そこで私は、バブル期を体験し、その時代のワクワク感を記憶として持ちながら年齢を重ねている、新しいシニア世代を、
「ABS世代(Active Bubble Seniors=アクティブ・バブル・シニア)」
と名付けました。「アクティブシニア」という言葉はすでに浸透していました。しかし私は、それだけでは自分たちの世代を説明しきれないと感じていました。
私たちには、戦後の高度経済成長、消費社会、テレビ、音楽、ファッション、ディスコ、スキーやマリンスポーツ、そしてバブルという、これまでのシニアとは違う時代体験があります。その「時代体験」こそが、今の価値観や消費行動にも影響しているのではないか。そんな仮説から、「ABS世代」という言葉をつくりました。
そして、「ABS世代がシニアを変える!」というテーマで、産経新聞の夕刊フジに2年半、120本のコラムや、宝島社の雑誌エッセイを書きました。
ここから私のマーケティング人生は、再び大きく方向を変えていくことになります。若いマーケットを追い、新しいトレンドを追い続けてきた私が、50代になって「自分はもう時代についていけないのではないか」と感じた。
ところが、その危機感がきっかけとなって、私は「人間」を見るようになった。そして、自分自身が当事者になったことで、これまでとはまったく違うマーケットが見えてきたのです。
それが、「成熟世代」という視点につながっていきます。そして、その先にあったのが、加齢科学のジェロントロジーとの出会いでした。
次回は、59歳の時に、私がなぜ南カリフォルニア大学の通信講座でジェロントロジーを学ぶことになったのか。そして、マーケティングの「プロダクトライフサイクル」と「人間の成熟」には、実は深い関係があるのではないかという、私自身のマーケティングにおける大きな気づきについて綴ってみたいと思います。
マーケティングの賞味期限を考え続けた先に、私が見つけたのは「人間理解」でした。後編では、ここからさらに話を進めます。