バブル期の日本はクリエイティブな時代
以前にもバブル経済の話を描きましたが、昭和から平成のバブル経済は、1986年末頃から結果的には1991年2月にかけて、日本で株価や不動産価格が、実体経済を超えて高騰した好景気期間です。
バブル期を社会人として実体験した世代は、概ね50歳代半ば以降となり、既に多くの社会人にとっては、過去の時代の出来事として認識されていますが、バブルと言うと「金余り・派手・浮かれていた」、そんなイメージが先行していると思います。
しかし、当時広告代理店で営業をしていた私の実感は少し違います。あの時代は、日本企業が「面白い実験」を本気で行っていた時代でした。
例えば、象徴的なのが、1987年に日産自動車が発売した「Be-1」です。コンセプトを担ったのは、ファッションやライフスタイル分野出身の坂井直樹さん。
自動車業界の常識から見れば“素人”。しかし、当時のクルマが直線基調デザイン・性能競争の時代に、丸みを帯びたレトロなデザインは強烈な存在感を放ち、その後のデザインに影響を与えます。
これは技術競争の勝利ではありません。「クルマ=移動手段」から「クルマ=所有する喜び」へと、「価値を再定義」した勝利だったのです。
バブル期は決して軽薄だったのではなく、「人間がワクワクする意味、そんな価値」を、企業が本気で模索していた時代だったと、私は思っています。
ぶらぶら社員が象徴する余白の経営
当時の企業文化を象徴する制度として、永谷園の「ぶらぶら社員」があります。
- 出社義務なし
- 上司の指示なし
- 仕事は“面白い企画を考えること”
そこから生まれたヒット商品が、今日では定番商品である「麻婆春雨」です。当時は、効率や論理的整合性よりも「人が面白いと思うかどうか?」が、意思決定において大きなポイントであり、「やってみよう!」という機運が高かった時代。つまり、今振り返ると、あの時代の日本企業には“余白”がありました。余白があるからこそ、面白い意味のある実験ができたのです。
EC業界は今、再び同じ地点に立っている
今のEC業界に当てはめると、どうでしょうか。
- CVR
- ROAS
- LTV
- CPA
数字の最適化が大きなテーマです。もちろん、どれも必要条件として重要です。
しかし、AIが広告を最適化し、価格比較が瞬時に行われる時代、十分条件として必要になる「オリジナルティ(差別化要素)」とは何でしょうか。
それは、「なぜ、このブランドが存在するのか?」という問いです。これは、アルゴリズムではなく“価値の設計”の領域です。
コンセプターとは“価値の創造者”
コンセプターという仕事は、先の坂井直樹さんから当時認知されました。コンセプターとは、コピーを書く人でも、デザインをする人でもありません。
事業や商品の「存在理由=価値」を定義する人です。ECで言えば、
- なぜこの人がターゲットなのか?
- なぜこの体験なのか?
- なぜこの価格なのか?
- なぜこの世界観なのか?
それらを一本の軸で貫き、言語化する役割です。UI改善や物流効率化の前に、「生活者にとって、独自性あるユニークな価値」があるかどうか。そこが、価格競争に入る企業と、ファンを持つ企業の分岐点になります。
日本人の強みは“情緒性”
日本のアニメやコンテンツが世界で支持される理由の一つは、「語りすぎない」美学にあります。説明過多ではなく、“余白”がある。
ECにおいても同じです。
- レビューの温度
- 梱包の丁寧さ
- 同梱メッセージの一言
こうした情緒設計が、ブランドの記憶をつくります。AIは最適化できます。しかし、“余白をどう設計するか”は人間の感性の領域です。
未来のコンセプターとは何か?
前回、「未来のコンセプター」という言葉で締めました。未来のコンセプターとは、
- 数字が読める
- データを扱える
- しかし最終判断は「人は本当に嬉しいか?」で下す
そんな存在です。
正解を出す人ではなく、問いを立てる人。そして自分なりの答え(仮説)を持つ人。技術と人間のあいだで、“幸福の定義”を編集できる人です。
バブル期の創造力をAI時代に
バブル経済崩壊から35年。時代は大きく変わり、アナログからデジタルへ、そしてAIへと進みました。しかし今こそ必要なのは、
- 正解を早く出す力より
- 意味を再定義する力
- ワクワクを設計する力
ではないでしょうか。
AIが最適解を出す時代に、人間は「そもそも何を最適化するのか?」を決める側に回らなければなりません。
売上計画の前に、広告施策の前に、まずは問いを持つ。
「このブランドは、誰の、どんな瞬間を、どう豊かにするのか?」
これを一行で言える企業は、強い。
分析者で終わるのか。価値を創る「未来のコンセプター」になるのか。EC業界は今、新しい創造期に入っています。
技術は進化します。しかし、意味を持つ価値を創れるのは人間だけです。日本人は、もっと自信を持っていい。長い年月が一周した今、私はそう確信しています。