ファンに怒られたMV
私の好きな某ダンスボーカルグループが先日新曲とMVを公開した。
ツアー初日の前日。通常なら最高に盛り上がる瞬間だが、MVが公開されたYouTubeでもSNSでも、ファンからは手厳しいコメントが相次いだ。
MVは二部構成だ。コミカルなアニメーションパートではメンバーは日々に疲れたサラリーマンに扮し、実写パートは彼らの夢の中の設定。ヒーローになりカッコよくモンスターを倒す。内容的には何ら問題はない。
ただ、そのアニメも実写(に見えるもの)も、すべて生成AIで作られたもの。そこにファンの批判が集まったのだ。
「生成AIにデータを食わせることの危険性は理解しているのか」「AIで不自然なものを作るくらいなら曲だけでいい」「彼らの生身の映像なりダンスなりを映してほしかったのでがっかり」「時間と予算がないなら他にやりようがある。さすがにこれはない」…ファンの声はさまざまだが、「推し」といえど納得がいかない作品にはNOと言えるファンのまっとうさに感心した。
彼女たちのほとんどはAIでMVを作ること自体を問題にしているわけではなかった。そのクオリティがお粗末だったから怒っているのだ。
確かにアニメパートはAIだと一発で分かる「いかにも」なテンプレタッチ。そもそもメンバーが似てなさすぎる。細部も、指がやたらたくさん生えてたりワイシャツにネクタイのまま布団で寝ていたり、とにかく「なぜ誰もチェックしなかったのか」と言いたくなる雑さだ。そうなると実写(っぽくした)アクションパートも魅力的には見えなくなる。
制作者の意図は不明だが、もしかしたら「敢えてベタに“AIで作ってみた”やったら面白そう」だったかもしれない。でもその「面白い」は身内だけで、受け手にとってはまるきり面白くなかったのだ。
歌って踊れるグループ。なのにその素材と能力を全く反映させず、センスもユーモアも感じられないアウトプットを出した。残ったのは「スピード感を持って生成AIで作ってみました!」という事実だけである。
便利ツールで失うもの
何人もの制作者に外注し、時間と手間をかけて作っていたものが、一人でも簡単にできる。それ自体は良いことである。
ただツールが進化すればするほど、使う側のモラルや良心、こだわりの部分が良くも悪くもあからさまに伝わるようになった。「上手いこと使えた」だけでは受け手には却って悪印象を残す。一時やたら増えた、AIによる大手企業のグラフィック広告の酷さと炎上ぶりを見ればよく分かる。
何かを制作する場において、ツールは目的ではない。ただの手段だ。極端に言えば、物づくりにおけるやすりやニスやガラス切りと同じもの(さすがにもすこし広がりがあるけど…)。ツールを使って「何をどう良く仕上げるか」が肝であり、「ツールを使って素早くやろう」がメインになっては危うい。
いちばん恐ろしいのは「使う人間が考えなくなる」ケースだ。件のMVでいうならアニメーターが指をたくさん描くことはあり得ないし、必ずどこかで指摘が入るはず。でも「AIにおまかせ」してしまうとそれがそのまま通ってしまう。
ツールがどんなに優秀でも、大事な部分は人間がすべて自分の頭で考えて試行錯誤して決めるべき。じゃないと、体裁はいいけどこだわりや思いが何にもない空洞みたいなものになる。
プロは「考える」をサボらない
デジタルツールの話ではないけど、連想することがある。
以前、LP制作でディレクターとして参加した際、デザイナーに「ここはこういう意図があるのでこんなトーンにしてほしい」と言ったら、「何色がいいか指定してくれないと作れない」と言われて驚いたことがある。そこを考えて自分なりの答えを出すのがデザイナーの仕事じゃないの?それがないならただの
「ツールが使えるだけのひと」になっちゃうよ?と思った。
もうひとつ。「お客さまアンケートで決める」や「公募と投票でキャラやネーミングを決める」という手法がよくあるが、私はあれが好きではない。もちろんお客さまの生の声は大事だ。でも「集まったそれを多数決としてそのまま反映させる」ことは、プロとしてやるべきじゃないとずっと思っている。
どちらにも共通するのは、制作物を世に出す時に「私(私たち)は、どういう目的のもとに、この素材を使ってどう料理するべきか」という思考と工夫の過程をすっ飛ばしていることだ。
正直、そこでウンウン唸る過程がいちばん苦しい。AIだったり決定権者だったりお客さまだったり、そういうところに丸投げした方が確かにラク。自分が悩まなくてもそれなりのアウトプットになるし、第一効率がよくて早いし。
でも本来の目的は「企業の思いや志をきちんと届けたい」「お客さまを喜ばせたい」「新しいやり方で他と差別化したい」…そういうものではないだろうか。そしてそこには必ず「作るひとの生のアイデア」が必要だ。過去データやAIが拾えない部分に、大事なものや未知なものがたくさん隠れているのだから。
AIによって拓けて良くなる世界は確かにある。それでもひとはAIに使われたり、AIに頼りきったりしない方がいい。私たちはもっともっと自分(人間)の思考のちからを、信じて磨いた方がいい。