デジタルの世界で戦う私たちだからこそ、非科学的なバランスをとるのもあり?!
4月になると新環境へと羽ばたかれる方も多いと思いますが、そんな季節になるといつも思い出す言葉があります。それは学生時代に何度も聞いた “人間は不安を感じた時、なぜか非科学的なものを信じるようになるのだ”というものです。
これは当時流行していた、学生や新社会人をねらったカルト宗教とマルチ商法の勧誘への注意に関するものだったのですが、最近とくに「本当にそうだなあ」と思います。
21世紀になって20年以上経ち、ますます科学や医学は発展しているのに、今も変わらず宗教や慣習などの非科学的なものが否定されることなく、伸びてさえいることは興味深くありませんか?
例えば、我々の生活にはすでに、初詣・夏祭り・クリスマス等の各種宗教イベントがあるのに、新たにイースターやハロウィンといった行事も取り入れられてきていますよね。
科学という軸で考えたときに「科学的」な方向へ延びると、真逆の「非科学的」という方向にも延びてしまうのでしょうか。
なぜ今回こんな話をしているかというと、自分自身が成田山に3日連続通い、御護摩のケムリをありがたく浴びてきたからです。
これには背景があり、このところハードディスクが突然死んだり、ネットワーク障害があったり、まあITインフラ関連に勤めていれば日常のトラブルの範囲内なのですが、そういった事象が一晩で複数の箇所で発生したりなんぞがありまして、対応自体は一つ一つ進められたものの精神的に疲れ切ってしまい、そんな私の状況を見ていた多くの方から託されたアドバイスが「お祓いに行ってみたらいいよ」というものでした。
まさか0と1で作られたデジタル世界でご飯を食べている諸兄からそんな非科学的なアドバイスが出るなんてと思い、「ハードウェア障害が続く時にはどうしたらよいか」を検索してみたところ、“厄除けにいけ”“先祖の墓参りに行け”とか、“ゴミ拾いをすると運気が上がる”といった、起きているトラブルの原因とはまったく関連のない対処法が多く出てきました。最初は笑って読み進めていたのですが、ここまで背中を押してくるのなら、と腹を括って成田山に3日連続で通ったわけです。
ちなみにChatGPTに同じ質問したところ、「お菓子をたくさん買って、不運を友達と笑い飛ばすパーティをするのも良いですね!」と勧めてくれましたが、残念ながら友達がいないので開催できませんでした。
さて私自身、私が成田山に毎日参詣することで、機器の老朽化がとまることなど1ミリたりともあるはずがないし、世界中の攻撃者たちが攻撃をやめてくれるはずもないことを理解してはいます。
しかし諸兄のアドバイスに従い、素直に毎日「トラブルが起きなくなりますように」と手を合わせてみました。
その結果、機器の寿命が延びないし、攻撃者の攻撃は絶えないものの、そういった事象が起きても、トラブルが起きたと考えずに淡々と落ち着いて対処できさえすれば、それはもうトラブルではないのだ、というコロンブスの卵的(一休さん的)考えにより、トラブルが起きなくなる方法が見えるところまで落ち着きました。そんなチカラを身に着けるのが難しいっていう話なのですが。
まあそんな私の体験はさておき、結局のところ、IT系の会社の人は宗教やジンクスを否定しない方が多いようです。
例えば、各企業を訪問していると、オフィスの中に神棚や写経スペースを設えてあったり、お札や破魔矢をエントランスに貼ったりされている会社はかなりあるように思います。
氷川神社や神田明神などに参詣すると、有名IT企業たちがかなり高額そうな奉納をしているのをご覧になることができると思います。また実際に、各社データセンターの注意書きに「ラック内に紙製品の貼付を禁じる(例:お札など)」というルールが定められているところも多いと思います。多くの方がお札を持ってきてしまうんでしょうね。
IT企業に限らず、化学工場や飛行場の中にも稲荷神社を設けているところも多いと聞きます。それらを考えていくと、人間というのは科学的な方向に進めていくときには、なぜかそのバランスとして非科学的な存在に頼らざるを得なくなってしまうのでしょうか。
なお、いわゆる宗教上行為に限らず、ボランティア活動などの社会貢献をもって“徳を積む”と考えたり、最近だとフェイスブックでよく見かける「大谷選手を真似て、ゴミを拾うようにしていたら運がよくなってきた」という投稿(なぜか50代以降の妙齢の男性に多い)、のような行動ならより大歓迎ですね。
このところ連続してITトラブル、とくに攻撃に関するコラムを書かせていただきましたが、実際にそういった攻撃にあうと、信頼や経済的な被害もさることながら、その対応にあたった方が精神的に疲弊してしまう光景をたくさん見てきました。
デジタルの世界で戦う私たちだからこそ、良い方向に、非科学的なバランスをとるのもありなのかもしれません。
