「伝える」と「伝わる」のあいだに Vol.13 見守るより、踏み込む。
「元気な時に一緒にいてくれる人」というのは多いけど、「弱った時に一緒にいてくれる人」というのは、それとイコールにならないものですよね。プライベートでも、仕事でも。
もちろん「そっとしておいた方がいい」「もう少し落ち着くまでは」という種類の思いやりがあることは知っています。人間関係にはタイミングというのがあるし、それを見極めるのが大人なのだ、というのも理解できます。実際、自分自身だって誰かに対して「しばらくはそっとしておいてあげよう。あれこれたずねたり、世話を焼こうとしては却って迷惑だろうし」と思うことはよくあります。
それでもずっとずっと心に残り続けるのは「弱った時に一緒にいてくれた人」のことだったりします。
★悪友からの「救い」
これは過去にいくつかの場所で書いている話ですが、昔むかし、結婚の約束をしていたパートナーが家を出て行った時のことです。
あまりに突然だったため、私の衝撃とダメージはかなりのもので、まっさきに助けを求めたのは彼の近しい友人たちでした。彼らは私を気遣いながらも言いました。「あいつが一度決めたならもう気持ちが変わることはないだろう」「気持ちは分かるが俺が現時点で役に立つのは難しい、ごめん」。
それはあまりに正しくて、あまりに残酷な言葉でした。
もちろん修復のために尽力すべきだなんて思ってはいません。でも、混乱と傷心の中ですがった人たちはものすごく冷静で正解で遠巻きで、弱った私はそのことにもショックを受けました。(いま思うと、親しい女友達がいたらよかったのにね…と思いますが)
まもなく正式に別れることになりましたが、引越しの日まで私は2人で暮らした部屋に住むしかありません。そんな日々で救いになったのが、2人の男友達でした。
彼らは悪友ともいうべき存在の飲み友達。毎晩のように私を誘い出して一緒に飲んだくれてくれたのです。女友達のように慰めや共感の言葉をくれたり、励ましてくれたりはしません。ただバカ話してゲラゲラ笑う。ひたすらそれ。深夜まで飲んでうちに泊まり、さらに飲んで別々の部屋でバタンキュー。翌朝じゃーなと帰っていく。極めて健全(?)な会でした。
彼らがいたから、私はその日々を生きていけたと思います。
1人になると孤独で落ち込んでしまう時に「誰かがそばにいる」というのはめちゃくちゃ大きな「助け」でした。具体的なケアや分かりやすい慰めがあったわけでもない。でも一番しんどくてグチャグチャな時にただ横にいて時間を共に過ごしてくれるというのは、暗闇の中のあったかい焚き火のような、ひとすじの命綱のような、そんな安心感と頼もしさがありました。
それぞれの人生が変化しめったに会うことがなくなっても、「何年前の話だよ」と笑われようとも、彼らには大恩があると思っているし、何かあったら私は彼らの味方でいようと思うのです。
★「遠くから冷静に」でいいのか?
「これ何の話?」と思ったみなさんすみません。決して過去の思い出に浸りたかったわけではありません。
今の時代、人との距離感やその詰め方は慎重になるべきです。「こういう人だからこうしていい」「コミュニケーションと称せば距離を詰めてもいい」というのは大きな間違いなのも確か。個々の存在と意思を尊重するのはとても大事だと思うのです。
それを大前提として、それでもなお最近感じることがあります。私の失恋みたいに卑俗な話ではなく、もっと深く大きな傷を負った人のことについて。
大人として、社会人として「わきまえて」「踏み込まず」「距離を縮めすぎず」「いいタイミングを見計らう」ことが望まれていて、実際社会はどんどんその色が強くなってる。その方がスマートだし波風が立たない。
でも本当にそれだけでいいんでしょうか。私たちは「わきまえ過ぎ」てはいないでしょうか。線の内側に入らないよう入らないようにしているうちに、「何もしないことこそ最良、ほっとくことこそ大人」みたいになってないでしょうか。
それはもしかしたら、本当に苦しくて、まさにいま虚空に手を伸ばしている人のことも、遠巻きにして眺めているだけになったりしてないだろうか。「他人に迷惑をかけない」「でしゃばらない」「独断で動かない」「言われるまで待つ」ことこそ最重要で、そこから逸脱することを忌み嫌う。そんなふうになってはいないだろうか。
身の回りで、家庭で、仕事で、社会で、もうちょっとだけ踏み込んでもいいんじゃないだろうか。何はなくともすぐ駆けつける。大きな役には立たないけどそばにいる。苦しいと言う人の話をただ聞く。そんなふうに。
仕事で接するお客さんにも、「正しさと便利さ」よりも「親身と温かさ」みたいなものを、もう少しだけ手渡してもいいんじゃないだろうか。今はとにかく冷たさが身に沁みる時だから。
自己責任とか、忖度とか、迷惑かけるなとか、目立つ言動をするなとか。そういう空気が濃くなったところで、今の日本社会じゃ誰も幸せにならない。
年明けから大災害や事故が立て続けに起こった2024年の1月、そういうことを強く思いました。
コピーライター 近藤あゆみ
Lamp 代表
博報堂コピーライターから(株)ネットプライス・クリエイティブディレクターを経てフリーに。企業のMMVやネーミング、サイトディレクションなど手がける。恋愛コラムやブログも人気を博す。