AIに「軽くて走りやすいランニングシューズ、予算1万円で」と話しかけるだけで、商品の発見から比較、決済までが会話の中で完結する──そんな買い物体験を実現しようとしているのが「エージェンティックコマース」です。
Google、Amazon、Microsoftといった大手IT企業がこぞってこの仕組みづくりに動いており、McKinseyはこのエージェンティックコマース市場が2030年までにグローバルで3〜5兆ドル規模に成長すると予測しています。
こうした数字を見ると、日本でも主流になるのではと感じます。本当にそうなのか、データをもとに整理してみます。
数字が示す、世界での勢い
まず、グローバルの状況を見てみましょう。2025年11月1日からブラックフライデーまでの期間、生成AIなどから米国小売サイトへの流入は前年同期比805%増となりました。(Adobe Analytics)。Cyber Weekでは全注文の約20%にAIが関与し、670億ドルの売上を記録しています(Salesforce)。AIエージェントを活用した小売事業者は、非活用の事業者よりも売上の伸び率が32%高かったという報告もあります(同Salesforce調べ)。
IBM Institute for Business Valueが2026年1月にNRF(全米小売業協会)と共同で行った調査(23カ国・18,000人超対象)では、消費者の45%が購買プロセスのどこかでAIを利用していると回答しました(IBM Newsroom)。商品のリサーチに41%、レビューの解釈に33%、お得な情報探しに31%と、「商品を探す・比較する」段階でのAI活用がすでに広がっています。
この勢いを「一過性のブーム」と片付けるのは難しそうです。ただし、この数字の中身を分解すると、少し違った景色が見えてきます。
「決済まで全自動」に残る壁
勢いがあるのは確かです。しかし、「AIが商品を探してくれる」ことと「AIが代わりに買ってくれる」ことの間には、大きな溝があります。
米国消費者の65%がAIによる価格比較を信頼している一方で、AIに注文そのものを任せてもいいと考えている人はわずか14%にとどまっています。実際、ChatGPT経由のECセッションは全体の0.2%未満で、コンバージョン率はアフィリエイトリンクと比べて86%低いというデータもあります。
一方で、AI生成のレコメンデーション経由のコンバージョン率は、従来の検索の4.4倍という数字も出ています。つまり、AIが商品を薦めたときの購買力は高い。でも、それを活かせるデータ基盤が事業者側に整っていない。「消費者の需要」と「事業者のインフラ」のギャップが、今の本質的な課題です。
慎重な日本市場、動き出す事業者
では、日本ではどうでしょうか。Adyenが2026年に実施した調査(Adyen Index 2026)によると、日本の消費者の6割がAIアシスタントに「抵抗がある」と回答しています。APAC他国ではこの傾向は見られず、日本の消費者はAIの利便性よりもセキュリティリスクを気にする傾向が際立っています。
技術面でも課題があります。エージェンティックコマースの仕組みは欧米の決済手段を前提に設計が進んでおり、特商法に基づく表示義務や掛け払い、ポイント決済といった日本独自の商慣習への対応はこれからです。
ただし、事業者側の動きは活発です。同調査では、9割以上の小売事業者がエージェンティックコマースへの投資を予定していると回答しました。また、NRIの調査(「流通産業に迫る『エージェンティックコマース』の衝撃」)では、高級ファッションのような「相性が悪そうな」商材ですら、国内消費者の約35%が利用意向を示しています。消費者の潜在的な関心は確実にあるのです。
「主流になるか」より「どこから変わるか」
ここまで見てきて思うのは、「主流になるかどうか」という問い自体を少し変えたほうがいいのかもしれない、ということです。大事なのは「買い物のどの段階から、どれくらいのスピードでAIに変わっていくのか」ではないでしょうか。
商品の発見や比較といった上流は、すでにAIに移りつつあります。決済の全自動代行という下流にはまだ課題が残りますが、事業者側の準備は確実に進んでいます。上流が変われば、下流もついてくるのは自然な流れです。
では、今のうちに何を準備しておけばいいのでしょうか。「AIに選ばれるデータ構造」を整えること。商品属性の構造化、在庫・価格のリアルタイム同期、Q&A型の商品情報の充実。Shopify×デロイト トーマツの対談で「データが構造化されていなければ、AIの世界では存在しないのと同じ」と語られています。少し厳しい表現ですが、的を射ていると思います。
そしてこれは、AIのためだけの施策ではありません。商品情報を正確に、構造的に、リアルタイムに整備することは、人間のお客様にとっての購買体験も改善します。「人間の目に選ばれるUI」と「AIに読まれるデータ」の両方を設計する、二層構造の時代に入ったということなのだと思います。