「伝える」と「伝わる」のあいだに Vol.14 時には「少なく、静か」に。
「うるさいな…」
つい口に出してつぶやいてしまう。
別に騒々しい場所にいるわけでも、誰かにお説教されているわけでもない。ネット広告に出会うとつい出る独り言だ。
うるさいなんて上からな物言いで申し訳ないけど、皆さんそう思わないだろうか?記事を読もうとすると、上下左右からぬるぬると広告が生えてくる。遅れて表示される広告は完全にトラップで、間違って押すことしばしば。消さないと続きが読めないけど、×印がどこにあるか分かりにくい。
記事を読みたいだけなのに、広告をかわす行為に時間をとられる。媒体にとっても執筆者にとっても、広告主にとってもユーザーにとっても、とにかく全員が幸せにならないあの方式、本当になんとかならないのだろうか。
お行儀よく静止している広告の中にも、それ単独で「うるさいなー」と感じてしまうものはある。
・文字や数字など情報をぎっちり詰める
・インパクトだけを追求した品のない画像
・不安や恐怖を煽る脅迫めいたコピー
「Vol.3 振り向かせる方法…本当にそれでいいの?」でも書いたけど、とにかく振り向かるための手法が乱暴すぎる。まるで交差点の真ん中でブリキのバケツをガンガン叩いて叫び、道行く人をギョッとさせ、無理やり振り返らせてるみたい。
受信トレイを埋め尽くす長い長い件名のメルマガは、不快じゃないけどもったいないなと思う。文字の洪水の中でそれらは埋もれ、景色の一部になってしまう。綴られた言葉の意味は頭に入ってこない。
「ネット広告って、なぜこうなってしまったんだろう」とよく思う。
消費者に端的で直接的なアクションを促せるからなのか、つい加速してしまうのは。脅迫めいたり、だまし討ちになったり、ムラムラやギラギラに走ってしまうのは。
広告に限らず「お客さんが気に留め、アクションを起こすにはどうしたらいいだろう」と思った時、本来はひたすらアイデアを考えるという過程が必要だと思う。バケツをガンガン叩く以外の方法を。
まず「定型」をやめる。「ありがち」をやめる。「こんなもんでしょ」をやめる。そこから自分で頭をひねっていくしかない。
特にネットで忘れがちなのは「余白を利かせる」「静かに話す」という、今とは逆の方法だ。
私が広告会社に入社した時、CM以外ではまだ紙の広告しかなかったのでデザイナーはグラフィックが基本。彼らは制作物を一枚の絵として作っていた。文字と絵(画)のバランスを考え、「余白」の部分を何より大事にしていた。
Eコマース企業に転職した時、以前の感覚でデザイナーに依頼をしたら端から端まで空白をすべて埋める構成になっていてびっくりした。ネットにおいて「目立たせる」というのは「派手に、大声で」なことにも。そして「なるほど、そもそもが違うんだ」と気づいた。
その逆を行きたくて、自社バナー広告やメルマガには、紙媒体の余白のニュアンスを取り入れた。空白の多いバナー。たった一行のコピー。ものすごく短い件名のメルマガ。「気にはなるが全貌が分からない」を心がけて作ると、クリック率や開封率は上がった。
「欲望という名の女優 太地喜和子」という本の冒頭で、若い頃の太地喜和子が舞台でジュリエットの「おお、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」から始まる長ゼリフを言う場面がある。万人が知るかの有名なバルコニーの独白は、ヘタに演じると滑稽にすらなってしまう。
“
この長ゼリフで100メートル先から的を射るようにキワコは人の心をつかんだ。(中略)キワコは何をしたか……?
長ゼリフを一気にウィスパーで通した。
ウィスパー、息声だけの囁きだった。
日常でも人の声が小さく聞きとりにくいと相手は身をのり出す。(中略)耳元で小声でひそひそやられると、人はまずその中身に関心を寄せる。ジュリエットの恋する胸の内を丸ごとこっそりのぞいてしまう感触に観客は酔った。
”
(長田渚左「欲望という名の女優 太地喜和子」より引用)
私は何かを制作するとき、いつもこの一節を思い出す。誰かを注目させたい時のひとつの作戦だと思うから(もちろんアイデアや技術は必要になるけど)。
本当は、足しに足した方が安心する。でもそれは単に広告主と作り手の安心なのだ。自分がお客さんなら、みっちりギッチリで目に騒がし過ぎるものを手に取りたいだろうか?
一歩引いた表現にするとか、要素をどんどん削っていくというのは勇気がいる。でも結果的にはその方が、情報があふれんばかりの「うるさい」インターネットにおいては却って目立ち、伝わりやすかったりするのだ。
「それを作らねばならない」仕事上の自分と、いちお客さんとしての自分を完全に割り切らないでほしいなと思う。プライベートで買い物をする時、自分は何に目を留めたり、惹かれたりするのか。その感覚をどんどん制作やディレクションに入れてほしいなと思う。
大盛りごってりドーン!が欲しい日もあるだろう。でも、静謐ですっきりしていたり、小さく上品だったり、謎めいてて続きが気になるものに思わず立ち止まる日もあるのではないか。
少なめこそがいい、という時がある。
それはネットにおけるアピールでも同じなのだ。
コピーライター 近藤あゆみ
Lamp 代表
博報堂コピーライターから(株)ネットプライス・クリエイティブディレクターを経てフリーに。企業のMMVやネーミング、サイトディレクションなど手がける。恋愛コラムやブログも人気を博す。