LLMを「人間の思考を深めるため」に活用する
生成AI、特に大規模言語モデル(LLM)は、公開以来、企業の業務フローを塗り替えてきました。定型文の作成、議事録の要約、さらには市場分析の下書きまで、従来人が数時間かけていた工程が、プロンプト一行で完了する。私たちはこの「余白時間」を手に入れたが、ただの休憩に終わらせるか、さらなる学習へ再投資するかで、LLM時代の競争力は大きく分かれると感じています。本稿の結論を先取りすれば、ビジネス効率を高めて浮いた時間こそ、再びLLMに投じ、自分の頭脳を鍛える「思考のジム」に変えるべきだ、ということを語りたいと思います。
まず、LLMの特性をあらためて整理しましょう。①言葉を確率統計で並べる生成モデルである。語彙選択は「もっともらしさ」を基準に行われるため、論理的には正しくとも事実と齟齬を来す場合がある。②確率ゆえに誤答は避けられない。ファクトチェックなしに鵜呑みにすれば、ミスリードが起こる。③とはいえ「分かりません」とだけ返し、会話を打ち切ることはほぼ無い。質問の背後にある意図を推測し、必ず何らかの仮説と根拠を提示してくる。④ユーザーの意見や感情に配慮し、共感的なレトリックを採用する傾向がある。以上四点は、LLMを安全かつ効果的に使ううえでの前提知識と考えています。
では、この前提を踏まえ、LLMに「役割」を宣言的に与えると何が起きるか。筆者は実験として「あなたは天動説を擁護し、私は地動説を擁護する」というディベートを仕掛けました。現代科学の常識から見れば天動説は不利だが、LLMはプトレマイオスの『アルマゲスト』を引用し、観測誤差の解釈を駆使し、雄弁に反論を続けた。与えられた役割の内側で、一貫した論理を構築したのである。もし「わからないときはわからないと答え、ユーザーの視野を広げる助言を行う」というルールを別途設定していれば、議論の方向性はまったく違っただろう。つまり、LLMは「前提依存型の論理装置」であり、前提設計の巧拙がアウトプットの質を左右する。だとすれば、私たちが向き合うべきは、単に情報を引き出すための「プロンプトエンジニアリング」に留まりません。むしろ、LLMとの「対話全体を設計する」という、より創造的な営みです。この対話設計能力を磨くことこそが、LLMを真の知的パートナーへと昇華させる鍵となります。
以上を踏まえ、浮いた時間で思考を深める三つの活用例を提案させていただきます。今回は読書を軸に考えてみました。①読書伴走モード:読み進める中で難解な段落を抜粋し、LLMに質問し、解釈を複数提示させる。さらに自分の要約を投げて照合すると、理解の穴が可視化される。脳科学では「想起と再構成」が記憶定着を促すとされ、このステップがまさにそれに当たります。②書評ディベート:読後に自分の書評を入力し、「論旨の飛躍」「根拠の不足」などを厳しく指摘させる。批判的フィードバックを受け止め、再反論を練るプロセスは、メタ認知と論証能力を鍛える。③オマージュ創作:得た知見を自分好みの世界観へ移植する骨子をLLMに生成させ、肉付けは自分で行う。構造化(LLM)と具体化(人間)の往復運動により、抽象思考と創造力が同時に鍛えられる。
読書伴走や書評ディベートはテキストだけに留まらず、動画講義や音声セミナーにも拡張できると考えています。個々人が自分専属の「知的パートナー」をポケットに持つ世界では、知識そのものより思考プロセスの質が差別化要因になる。「どのLLMを使うか」ではなく「LLMとどのような対話を設計するか」が重要になると考えています。
LLMは効率化の「自動化装置」であると同時に、思考を映す「鏡」でもあります。前者で時間を生み、後者で頭脳を鍛える──この両輪が噛み合ったとき、私たちは単に速く仕事を終えるだけでなく、より深い洞察と独創性を備えたビジネスパーソンへと進化できると確信しています。LLMの真価は、アウトプットの速さではなく、ユーザーの思索を刺激し続ける「対話相手」として使いこなせるか、ユーザーの知性を高めることができるか、ではないかと筆者は考えています。LLMで得た自由な時間を、思考の耕作地に変えられるかどうか。それが、LLM時代に差を生むのではないでしょうか。

JECCICA客員講師 山根 正史
(株)ジャスファ・イーコマース 代表取締役社長